OTK's Memo

Nov 20

特にここで指摘できるのは2点ある。

 1つは、ボランティアゆえの解放感。

 ボランティアと思うと、つい、参加する側も気がゆるんでしまって、好き放題やれると思ってしまう。相手からお金をもらっているわけでもないし、自分たちがやりたいことをやろう、と。

 でも、プロボノという言葉の語源は、ProはFor、BonoはGood。つまり、「善のために」というのがプロボノの意味であって「自分のために」ではないのだ。

 もう1つは、クライアントの履き違えである。

 会社としてプロボノを推進しようと思うときに、本来、支援先のNPOこそがクライアントという位置づけに該当するはずだ。ところが、いつの間にかNPOがクライアントであることが忘れられ、むしろ会社内部の上下関係が影響し、上司が付けた注文を優先してしまうということが起きた。「お金をもらっていない」ということが、相手に対する緊張感を容易に失わせてしまいかねないことを如実に表す事例だった。

 だが、もう一度プロボノの定義を振り返ってみよう。

 それは、「仕事を通じて培ったスキルを社会貢献に活かす」ということ。お金を払う相手ではなくとも、仕事と同様の確実なプロセスを心がけていれば、このようなことにはならなかったはずだ。

ドラッカーも言っていた。「不足しているのはアイデアではなく・・・」:日経ビジネスオンライン

嵯峨 生馬
相手からお金をもらっているわけでもないし、自分たちがやりたいことをやろう
お金をもらっていない」ということが、相手に対する緊張感を容易に失わせてしまいかねない